2010年2月27日土曜日

日本人の成功哲学-9



連載のシリーズの続きです。

さて、今日も前回の続きを続けてご紹介することにしましょう。

前回の締めくくりは・・・


仏教の言葉をお借りするなら「自利優先」の西洋、「他利優先」の日本。ということになるのでしょうか。
.
こう考えると、西洋人の書いた成功論を読んだことがある人なら、あまりにも「日本の成功論」と「西洋の成功論」の対照的であることの矛盾を感じた理由、迷ってしまった理由を感じた理由がわかってくるのではないかと思うのです。
.
正直な話をすれば、私も「この違い」が明確になるまでは、ずいぶんと混乱していたのです。

 というものでした。

とにかく、書店に顔をだせば「成功法則」といった本が、かなり目についてしまうのです。そういう本を見ているうちに、私の頭の中が、西洋的なものと、日本的なものと混ざり合ってしまい、ごちゃごちゃになってしまったのです。
 
元来、「自己中心的」で「自分さえ良ければ良い」という幼稚な感覚を持っていた自分でしたから、どちらかというと「自己中心的」で「自分が良ければ良いじゃないか!」という西洋的な感覚の成功法則に傾いていってしまったようにも思います。
 
しかし、今考えると「実に身勝手な感覚」を持ち合わせていたものだと苦笑するしかありませんが・・・上司に対しては「日本的で人徳のある上司像」を望んでいたりしたわけです。カンタンにいえば「上司に厳しく、自分にはトコトン甘く」といった感覚でしょう。
 
当時は「経営者の経営哲学本」がたくさん売られていました。当然、そういう本を読みあさっていたのですが・・・ 結局、そこにある根源が、近代日本・資本主義の父「渋沢栄一」 氏の影響を多く受けているということに気付くことになります。
 
「人の顔を立てなさい」「長い目で人生を考えると、今、相手の顔を立てるために自分はバカのフリをするのが人徳というものだ」といった哲学が、そこに見え隠れしていました。
 
「日本ならではの成功論」というものが西洋の成功論と一線を画しているということに気付いてから、改めてナポレオン・ヒルの成功法則を読み直してみました。
 
そして、日本人と西洋人の考え方が、成功論においてさえ、あまりにも対照的だったことに気付いて、ビックリしてしまったのです。

ナポレオン・ヒルの考え方は、改めて紹介しようと思いますが、一番の違いは「願望を持て!」といっているところです。そのような言葉を多くの「大経営者の本の中」から探してみると、こういう風に書いてあります。
 
「日本人は謙虚が一番だ。たとえ、秘めたる野心や野望を持っていても、それを人前で口に出してしまうと、単なる大ボラ吹きだと思われてしまう。何よりも、そんなことを言うと、周りから嫌われてしまうことが一番の問題だ。人間、嫌われてしまうと、取引先からも、上司からも相手にされなくなる。」
 

こうなってくると、日本人が書いた「西洋的な成功法則の著書」が売れないという理由がハッキリとしてきます。出版社は、色々な本を出して、そのことに気付いているのでしょう。
 
しかし、そういう「第三者的な【保険の役割をする出版社】」を介さず、そのまま「発表してしまえる場所」が登場しました。それが「コンピューターのネットワーク」です。
 

こう考えれば「ちょっと読むだけで成功してしまう」といった【ノウハウ】が、インターネットだけで販売されている理由もハッキリしてきます。

そういったご商売で生計を立てていらっしゃる方もいるのでしょうが、私はこういいたいのです。かつて、私もそれが良いことだと「テクニック」や「裏技」を重要視していました。
 
しかし、その結果・・・ 企業をリストラされてしまうことになりました。私は、その感覚でコンサルタントを始めたのですが、やっぱり、ここは日本なのです。そのことを身をもって痛感することになりました。
 
今、そういうことに夢中になっていらっしゃる方々が、このblogを読まれているならば・・・こういい他のです。その先に、私がそういう生活を抜け出した「こういう日本らしいノウハウがあるのだ」と・・・ 

では、具体的に気をつけるべきポイントはどこか・・・という話になるのでしょうが・・・ずいぶんと長くなってしまったので・・・ 
.
今日のところはこれくらいで筆を置くことにしましょう。




ランキングに参加しています。

 

 


 
 
 
 



2010年2月26日金曜日

日本人の成功哲学-8

.
連載のシリーズの続きです。
.
さて、今日も前回の続きを続けてご紹介することにしましょう。
.
前回の締めくくりは・・・
.
.
私は「西洋の成功理論」を否定しているわけではありません。自然を克服する、宇宙開発をする、といった「自然科学の分野」では、確かに欧米諸国は優れています。

しかし「人と上手に関わる」「人を相手に商売をする」といった「社会科学の分野」では、日本の文化は欧米諸国の文化とは比べ物にならないほど優れているのです。
.
歴史的に、そのようなことは多く起こってきています。アメリカで開発された自動車が、ビジネス(商売)となったら、トヨタが抜いてしまった。
.
こういう事実は、いくつも存在しているのです。理科系の方々が「欧米の優れた理論」を学ぶことは理に適っています。

しかし「ビジネス」や「商売」をされている「ジェネラリスト」が「50年ほど前に理論体系化された欧米理論」を重視し、2500年もの年月を費やして構築された「世界で特に優れた日本の商売哲学」を学ばないことは、理に適っていない・・・

そう伝えているだけなのです。というものでした。
.
.
「日本人」と「西洋の人たち」の「成功観」というものは、これくらい違っているのです。その違いを示す、代表的な感覚があるとすれば・・・

それは「考える」という言葉に象徴されるかもしれません。「Think」という言葉が日本にやってくるまで、日本には「考える」という言葉は存在しなかったのだそうです。
.
日本に古来からあった言葉は「思う」・・・ この「思う」では「Think」の意味が翻訳できないとして「考える」という風に翻訳され、現在に至っているのだそうですが・・・
.
日本では「思う」と「考える」がごちゃごちゃになって「考える」という言葉で表現されているようなのです。
.
より正確に言えば「考える(Think)」というのは「頭の中で、シュミレーションしてみる」と翻訳したほうが、その元の言葉の意味合いとしては正確だ・・・と、ネイティブの英会話の講師の方から聞いたことがあります。
.
しかし、日本人の場合「考える」というのは「察する」とか「感じる」という意味合いも含まれてしまいますから、やはり「思う」と表現したほうが日本的な表現になるように思います。
.
そもそも、西洋には「察する」という文化が存在していません。だからこそ「プレゼンテーション」が必要になってしまったという「風土研究者」のレポートがあります。
.
そうそう、そのネイティブの英会話の講師の方が、おもしろいことをおっしゃっていました。「日本の【I Love You】」と「ネイティブの【I Love You】」は、意味合いが違っている・・・
.
その英会話の講師の方によると、日本の【I Love You】は「私は、自分のことよりも、あなたのことを大切にします」という意味合いになり、ネイティブの【I Love You】は「私は、あなたのことを、大切な自分の次に大切にします。」という意味になるのだそうです。
.
さらに、もっと興味深かったのは「チームワーク」という言葉です。西洋には「チームワーク」という感覚が元々なかったので、集団行動の効率性を語るために「チームワーク」という言葉が作られたようだが・・・
.
日本には「チームワーク」という言葉がない。そもそも、チームワークが大前提だったがために、チームワークを象徴する「和」という言葉を提示するだけで、チームワークを思い出すことができたのだろう・・・とおっしゃっていました。
.
仏教の言葉をお借りするなら「自利優先」の西洋、「他利優先」の日本。ということになるのでしょうか。
.
こう考えると、西洋人の書いた成功論を読んだことがある人なら、あまりにも「日本の成功論」と「西洋の成功論」の対照的であることの矛盾を感じた理由、迷ってしまった理由を感じた理由がわかってくるのではないかと思うのです。
.
正直な話をすれば、私も「この違い」が明確になるまでは、ずいぶんと混乱していたのです。
.

では、具体的に気をつけるべきポイントはどこか・・・という話になるのでしょうが・・・ずいぶんと長くなってしまったので・・・ 
.
今日のところはこれくらいで筆を置くことにしましょう。



ランキングに参加しています。

2010年2月25日木曜日

日本人の成功哲学-7




連載のシリーズの続きです。

さて、今日も前回の続きを続けてご紹介することにしましょう。

前回の締めくくりは・・・


最近では、特に都会のほうでは西洋の個人主義が強くなっている傾向にあるようで、ことわざでいわれているほどでもない・・・

などという人も多いようですが、それは表面的な話であって、日本人の本来の気質ともいえる価値観は、隠然として存在しているのです。

そのことは、素朴な現実を思い出すだけでも納得できるはずです。たとえば、入社試験に行く時に、学生達が、いっせいに「黒」や「紺」の服を着て髪形を社会人風にすることです。

これは「我を殺す」ということの誓約であり、証でもあるわけです。髪形やそういう服を着ることで「自分も集団主義者だ!」と主張していているのです。


というものでした。今回は、大別した3つ目の要素を紹介することにします。
前にも話をしましたが、日本の経営者によく使われる言葉に「現場主義」というものがあります。

これは「現場」「現物」「現実」の3つをとって「3現主義」と呼ばれることもあります。
2500年もの太古から、自然を崇拝し、自然から多くを学んできた日本人にとって「事実に学び、体験に学ぶこと」が最高の勉強だったのです。

日本には「不立文字」「以心伝心」などといった「ノンバーバル・コミュニケーション」を重要視する言葉があります。

これらは、実に「説明しにくく、説明を聞いても理解しにくい言葉」です。そのため「日本の価値観」は「観念的だ」と思われる傾向が強いようです。

しかしながら、それは大きな誤解で「行動主義」だからこそ「ことば」で表現しにくくなり、観念的に見えてしまっているだけの話なのです。

人間には、だれもが鋭い感性を持ち合わせているものです。その感性によって感じ取ったものを「ことば」で表現することは、正直いって不可能なのです。

トップセールスマンが、その秘訣を人に教えられないのは、そのためです。秘訣とかコツなどといわれるものは、全て「本人の感性」から生まれてくるものなのです。

これらの感覚を「ことわざ」としてものは数多くあります。

・艱難、汝を玉にす。
・成功は失敗のもと。
・若いうちの苦労は買ってでもせよ。
・獅子は子を千仞の谷に突き落とす。
・かわいい子には旅をさせよ。
・虎穴に入らずんば虎児を得ず。
・楽は苦の種、苦は楽の種。
・冬の寒きを経ざれば春の暖かさを知らず。
・労なくして功なし。
・大器晩成。
・早く成功した人は、早く亡びる。

このように並べてみると、日本文化における成功哲学のイメージが鮮明に浮かび上がってくることに気付くのではないでしょうか。

つまり、苦労をして、失敗をして、自己の中の原因を発見し、素直に反省し、その原因を根本的に解決する体験教訓を「ノウハウ」としているのです。

ここに日本人の「行動主義」「体験主義」がしっかりと根付いていることがご理解いただけるでしょうか。


数日前に、近藤真彦さんの「ざんばら」という曲が発売されましたが・・・この曲の歌詞は、まさに「苦労という体験から学んでいく」といった「日本人の心」が込められているように感じたのです。


カンチガイをされる方々がいらしてはいけませんので、付け加えておきたいのですが・・・

私は「西洋の成功理論」を否定しているわけではありません。自然を克服する、宇宙開発をする、といった「自然科学の分野」では、確かに欧米諸国は優れています。

しかし「人と上手に関わる」「人を相手に商売をする」といった「社会科学の分野」では、日本の文化は欧米諸国の文化とは比べ物にならないほど優れているのです。

歴史的に、そのようなことは多く起こってきています。アメリカで開発された自動車が、ビジネス(商売)となったら、トヨタが抜いてしまった。

こういう事実は、いくつも存在しているのです。理科系の方々が「欧米の優れた理論」を学ぶことは理に適っています。

しかし「ビジネス」や「商売」をされている「ジェネラリスト」が「50年ほど前に理論体系化された欧米理論」を重視し、2500年もの年月を費やして構築された「世界で特に優れた日本の商売哲学」を学ばないことは、理に適っていない・・・

そう伝えているだけなのです。この部分についての詳しい内容は、拙著なぜ、シマウマがトップ営業マンなのか? に詳細に記していますので、ここでは割愛することにします。


では、具体的に対応するポイントは何か・・・という話になるのでしょうが・・・ずいぶんと長くなってしまったので・・・ 
.
今日のところはこれくらいで筆を置くことにしましょう。



ランキングに参加しています。

 

 


 
 
 
 

2010年2月24日水曜日

日本人の成功哲学-6



連載のシリーズの続きです。

さて、今日も前回の続きを続けてご紹介することにしましょう。

前回の締めくくりは・・・



たった100年ちょっとで大国を作り上げてしまった西洋の理論的な成功論は、体系化されていて「わかりやすい」面があります。

しかし、日本の実践的な成功論は、2500年もの間に数多くの人たちの「実践統計」によって生まれてきている「失敗を避ける職人的実践論」だけに、西洋の理論よりも確実性が高いのです。

問題があるとすれば、私たちが、これらの言葉を知り過ぎていて、かえって軽視してしまう傾向が強いことかもしれません。

これらの言葉を「日本の成功哲学」として、あらためて見直すことが大切だと思うのです。


ということで「現実主義」「現場主義」「現物主義」の日本ならではの「成功哲学を学ぶ姿勢」を、3つに大別した第1段としてご紹介しました。

「西洋の成功理論」が「他を押しのけて勝ち上がる短期戦」と表現できるならば、「日本の成功哲学」は「他と共生し、他に利を及ぼしながら自らも長らく生き続ける長期戦」といえるのかもしれません。

そしてもうひとつ。「西洋の成功理論」が「頭で考えてから実行するもの」と表現できるならば、「日本の成功哲学」は「実践の中から生まれて来た、実践重視の職人哲学」と表現できるのでしょう。

それが証拠に、日本において100年以上も続く会社は20,000社を越えています。次いで、第2位がドイツの500社。第3位がアメリカで200社というのが、この数値をまさに証明しているようにも思うのです。

今回は「日本の成功哲学」3つの分類の2つ目。「人望」「人徳」「器量」といったものについて、ご紹介していきたいと思います。

日本において「長期的に、相手さえも活かしながら成功する人」というのは「人望」がある人間ばかりです。
そういう人のことろへは、人も幸運も、オカネまでもが集まってくるものです。どのようにすれば、そのような人になれるのでしょうか。
そのことを、つぎのような「ことわざ」が教えてくれているのです。
・バカぶる大利口。賢ぶる大バカ。
・知る人はいわず、言う人は知らず。
・来年のことをいえば鬼が笑う。
・出る杭は打たれる。
・きじも鳴かずば撃たれまい。
・大智は愚の如し。
・損の道をいく。
・損して得とれ。
・損せぬ人に儲けなし。
・人の悪きは我が悪きなり。
・辛抱する木に金がなる。
・高慢は出世の行き止まり。
・実るほど頭を垂れる稲穂かな。
・ことば多きは品少なし。
・能ある鷹は爪を隠す。
・運鈍根(幸運、愚直、根気が成功の素)
・清濁合わせ呑む。
・不言実行。
・大言壮語するベからず。
・いうは易し、行うは難し。
・欲に眼がくらむとロクなことがない。
・負けるが勝ち。

このように、日本人は本質的に出しゃばる人を大変嫌うDNAを持ち合わせているのです。

最近では、特に都会のほうでは西洋の個人主義が強くなっている傾向にあるようで、ことわざでいわれているほどでもない・・・

などという人も多いようですが、それは表面的な話であって、日本人の本来の気質ともいえる価値観は、隠然として存在しているのです。
そのことは、素朴な現実を思い出すだけでも納得できるはずです。たとえば、入社試験に行く時に、学生達が、いっせいに「黒」や「紺」の服を着て髪形を社会人風にすることです。
これは「我を殺す」ということの誓約であり、証でもあるわけです。髪形やそういう服を着ることで「自分も集団主義者だ!」と主張していているのです。 

では、3つ目の特徴は?・・・という話になるのでしょうが・・・ずいぶんと長くなってしまったので・・・ 
.
今日のところはこれくらいで筆を置くことにしましょう。



ランキングに参加しています。

 

 


 
 
 
 

2010年2月23日火曜日

日本人の成功哲学-5

.
連載のシリーズの続きです。
.
さて、今日も前回の続きを続けてご紹介することにしましょう。
.
前回の締めくくりは・・・
.
.

日本では、まとまった「個人が成功するための哲学」というものが育たなかったのです。
.
では、まったく存在しなかったか?というと、そうではないのです。それは「石門進学」というものに代表する「商売の教え」でした。
.
これを理論体系づけた「石田梅岩」という学者が活躍したのは、今から300年ほど昔の話です。「商人道」として、その教えは京都から広がりました。
.
後に、多くの「大店の店主」が「門外不出の家訓」として、その教えを外に漏らさずに守ってきたという歴史をあったのです。
.
「損して得取れ」「負けるが勝ち」「三方良し」といった「ことわざ」となりました。集団主義の中で生きる「商人達の成功論」は、西洋諸国よりはるか昔から日本に存在していたのです。

.
.
.
日本文化の中に「あからさまな成功論」が育たなかったのは、日本が「村社会」「集団主義の社会」を2500年も昔から作ってきた自然環境が影響しているのです。
.
そして、このことは今日においても厳然とした事実となっています。このことに気付かずに若いころの私のように「西洋かぶれ」してしまうと日本の組織での評価は、まず無いと考えたほうが良いだろうと思います。
.
つまり「組織より、自分個人が生きるための権利の主張」などをしてしまうと「そこをガマンして集団を優先する組織」から「村八分」にされてしまうのです。
とはいえ、私たちは誰もが「成功したい」という夢や野心を持っているものです。それはそれで良いことだろうと思います。
.
しかし、日本の社会で生活をしている限り「日本人の成功哲学」というものを守らなければならないのも、当たり前といえば当たり前なのです。
.
日本には、西洋のような「あからさまな成功論」は存在しませんが、日本特有の成功論というものがあります。
.
元をたどれば「朱子学」や「儒教」というものにつながるようですが、これが「ことわざ」となり一般に広まっていったのです。
.
この「日本特有の成功論」=「ことわざ」というものを大別すると、3つのパターンに分けられるのです。
.
第1は「学ぶ姿勢」とでもいえば良いのでしょうか「考える態度」というものを説いたものが、それにあたると考えられます。
.
それは、白紙になって「見るもの全てから学ぼうとする姿勢」のことをいうようです。
.
・人は皆、師なり
・欠点を見るな、長所を見よ
・偉い人は耳が大きい
・愚者も千慮に一得
・白紙になれ
・百聞は一見に如かず
・案ずるより生むが易し
・三人よれば文殊の知恵
・負うた子に教えられて浅瀬を渡る
.
ここに例としていくつかあげた「ことば」は、日本人が「現実を見て学ぶ」「実態を聞いて学ぶ」ということを、大変重要視していることを示しているものばかりです。
.
現在でも、「現場主義」「現実主義」「現物主義」という言葉を会社の方針としている企業は数多くあります。
.
これは、石田梅岩の説いた「石門心学」の教えの中にも示されているというものが、大店の門外不出の家訓となり、それが細分化し、今に受け継がれているものと考えてもおかしくありません。
.
日本人は「自然から学ぶ」「現実から学ぶ」「経験によって錬られた技術を持った師から学ぶ」という「理論軽視」「実践重視」「現実重視」の考え方を大切にしてきた価値観の現れだといえるのでしょう。
.
これらの言葉は、一般的にも頻繁に使われている言葉ばかりです。ここに「理論よりも人を重要視する」「理論よりも現実を重視する」という日本独自の「統計的成功論」が成り立っているのです。
.
たった100年ちょっとで大国を作り上げてしまった西洋の理論的な成功論は、体系化されていて「わかりやすい」面があります。
..
しかし、日本の実践的な成功論は、2500年もの間に数多くの人たちの「実践統計」によって生まれてきている「失敗を避ける職人的実践論」だけに、西洋の理論よりも確実性が高いのです。
.
問題があるとすれば、私たちが、これらの言葉を知り過ぎていて、かえって軽視してしまう傾向が強いことかもしれません。
.
これらの言葉を「日本の成功哲学」として、あらためて見直すことが、大切だと思うのです。
.
.

では、どうすれば日本で成功できるのか・・・という話になるのでしょうが・・・ずいぶんと長くなってしまったので・・・ 
.
今日のところはこれくらいで筆を置くことにしましょう。



ランキングに参加しています。

 

 


 
 
 
 

2010年2月22日月曜日

日本人の成功哲学-4

.
連載のシリーズの続きです。
.
さて、今日も前回の続きを続けてご紹介することにしましょう。
.
前回の締めくくりは・・・
.
.

ハッキリいってしまえば、日本人は「集団(村)の長」に対して「人徳」を尊び、信用、人望を重視しているのです。
.
「人望」「器」「器量」という言葉が歴史的に重んじられてきましたが、これは「人を活かすことのできる度量の大きさ」のことを指しているのです。
.
つまり「自分を活かすより、他人を活かすこと」が日本では「評価をあげる基準」となってきた2500年もの歴史がありますし、原則、今もそれは変っていないのです。
.
.

というものでした。
.
欧米諸国と、世界中でも「希な基準を持っている日本」の「価値観」を、この部分で対比してみると、次のようになります。
.
西洋諸国・・・個人主義→個人→自我主義→ホンネ→自分を活かすことを最優先に考える→個人主義社会の成功論→成功哲学→個人の能力を引き出す成功法則の著書
.
日本・・・・・集団(村優先)主義→集団(村)→タテマエ→自我を抑え他人を活かすことを最優先に考える→集団主義社会(村文化)の成功論→成功するための「ことわざ」→自我を抑える成功書

.
つまり、日本人にとっては「西洋思想の成功論」というものは、個人主義的な考え方・・・結果「出る杭は打たれることになる」・・・ということから、実践的には使えない。という実践体験によって排除され続けてきたのです。
.
このような文化的な環境の違いがあったため、日本では、まとまった「個人が成功するための哲学」というものが育たなかったのです。
.
では、まったく存在しなかったか?というと、そうではないのです。それは「石門進学」というものに代表する「商売の教え」でした。
.
これを理論体系づけた「石田梅岩」という学者が活躍したのは、今から300年ほど昔の話です。「商人道」として、その教えは京都から広がりました。
.
後に、多くの「大店の店主」が「門外不出の家訓」として、その教えを外に漏らさずに守ってきたという歴史をあったのです。
.
「損して得取れ」「負けるが勝ち」「三方良し」といった「ことわざ」となりました。集団主義の中で生きる「商人達の成功論」は、西洋諸国よりはるか昔から日本に存在していたのです。
.
.

では、どうすれば日本で成功できるのか・・・という話になるのでしょうが・・・ずいぶんと長くなってしまったので・・・ 
.
今日のところはこれくらいで筆を置くことにしましょう。



ランキングに参加しています。

 

 


 
 
 
 

2010年2月20日土曜日

日本人の成功哲学-3

.
さて、前回の続きを書くことにしましょう。
.
1973年といいますから、もう40年ほども昔の話になるのでしょう。ダイヤモンド社から「タテマエとホンネ」(著/仁戸田六三郎)という本が発売されベストセラーとなりました。
.
現在でも「ホンネとタテマエ」という言葉は、一般的に、ごく当たり前のように使われていますが・・・

なぜ、こんな古い話を持ち出すかというと、1973年というのは「1971年のニクソンショックで円高」となり「1973年の第1次オイルショックで不景気になった年」だからです。
.
いつの時代も、日本が不景気になるたびに「日本らしさ」というものが「会社を救う戦略」、「日本人らしさ」というものが「自分を救う哲学」としてクローズアップしてきたからです。
.
日本人は、追い込まれると「タテマエ」というものを持ち出す傾向にあります。
.
タテマエは「集団の論理」です。それは、自分が所属する集団の中の人間関係を規制する原則なのですが、2500年もの歳月をかけて醸成されてきた道徳観を土台にしているため、強い規制力をもった道徳律となっているのです。
.
日本語らしく表現するならば「恩」であり「忠義」であり「孝行」です。また「義理」「人情」というふうに表現されることもあります。
.
そのような考えの中から「ご縁」とか、「おかげさま」「気くばり」ということばが派生してきたのでしょう。
.
この道徳律は、いずれも人間関係に対して大変な気配りをしているものです。それは「ひとくち」にいえば「集団の利益を最優先に考え、自分のことは後回しにする」ということです。
.
しばしば発生する企業ぐるみの犯罪においてよく見られることですが、日本人は自分が所属している会社に損害を与えるようなことは決して言わなかったのです。
.
自分の感情を殺し、集団のために尽くしてきた長い歴史をあるのです。そういう意味では、ホンネをいう人間は「危険人物」と見なされてしまう文化があります。
.
いつ裏切られるかわからないと見られるからです。
.
歴史をさかのぼって見てみると、欧米では「たとえ集団の利益に反しようとも、自己の両親にそって対応することが「人徳」と見られた傾向にあったようです。
.
勤務してきた会社の悪行を暴露するために辞職したらい、秘密文書を外部に流したりして、時には、そういうことをした人間を「英雄」と見てきた経緯もあるようです。
.
1973年出版(「日本人」著/グレゴリー・クラークより一部概略引用)

.
確かに、日本でも「企業の不正を暴露する」という動きが最近、目立ってきています。船場吉兆も、飛騨牛の丸明も、加ト吉も・・・ 
.
「西洋かぶれ」した人が、西洋の感覚で「会社の悪行を暴露」したのでしょうが、こういう「西洋の正義感」を持ち合わせた人は、残念ながら日本では「危険人物」とみなされ、後にそういう人を雇う経営者が存在しないのも現実なのです。
.
たしかに正しい行いかもしれませんが・・・ 雇う側の人間にとっては「和を乱す、危険人物」としかうつらないのが本当のところでしょう。
.
個人の利益を優先する欧米諸国で醸成されてきた、日本では通用しにくい「個人優先の主張」を、集団(村)の利益を優先する日本に持ち込むことは、結果、自分の評価を下げることにしかならないのです。
.
冷静に考えてみていただきたいのです。リーマンショックがあった時に、真っ先に解雇されたのは「個人優先の主張」をしながら働いていた「派遣社員」だったではありませんか。
.
ハッキリいってしまえば、日本人は「企業の長」に対して、強烈なリーダーシップの発揮を望んでいるのではなく、「集団(村)の長」として「人徳」を望んでいます。
.
そういった「人徳」のある「企業の長」をがいるならば、その「人間性=人徳」を尊び、「人望」を期待しているのです。
.
「人望」「器」「器量」という言葉が歴史的に重んじられてきましたが、これは「人を活かすことのできる度量の大きさ」のことを指しています。
.
つまり「自分を活かすより、他人を活かすこと」が日本では「評価をあげる基準」となってきた2500年もの歴史がありますし、原則、今もそれは変っていないのです。
.
日本人は「目先の利益」より「その先の利益」までを考え、逆算して今の行動にうつすことを重んじてきました。
.
つまり「先々、ずっと得できるならば、今は自分がバカなフリをしておく・バカな目を見ておく」という、本当の意味での頭の良さを持ち合わせていたのでしょう。
.
では、どうすれば成功できるのか・・・という話になるのでしょうが・・・ずいぶんと長くなってしまったので・・・ 
今日のところはこれくらいで筆を置くことにしましょう。



ランキングに参加しています。

 

 


 
 
 
 

2010年2月19日金曜日

日本人の成功哲学-2

.
さて、前回の続きを書くことにしましょう。
前回は「西洋の成功法則」と「日本の成功法則」は全く違っているという話をいくつか紹介しました。
..
また、私自身がそうなのですが、やはり「日本人」にとって「成功論の本を読んでいる姿」を他人に見られたくないという心理が働いているという話も紹介しました。
.
インターネット上では「成功テクニック」などといったものが売買されているようですが、こういうものが「書籍化されベストセラーになった」という話を聞いた事がありません。
.
本当に「成功」するのであれば、それが大きな話題にもなるでしょうから、書籍化されるか・・・はたまた驚くほどの値段に跳ね上がるといったニュースがweb上で流れても不思議ではありません。
.
しかし、そういう実例があった・・・という話をほとんど耳にしないことは、本当に不思議だと思ってしまうのです。
.
日本での「成功」というものは、そもそも「成功し続けること」であり、成功したことを表に明かさないことで「村の人気者」を作り上げてきた文化があります。
.
西洋では、まず「自己アピール」して目立つところから始まります。プロレスでもボクシングでも、まず「オレはこんなに強い。相手は大して強くない。」というプレゼンテーションが戦いの前に繰り広げられます。
.
しかし、こんなことを日本人が日本人の前でやってしまうと「あいつはバカだ。最低だ」と罵られ、一度に「悪役」のレッテルを貼られてしまいます。
.
西洋人のマネをして悪役となり、結局は「みなさま」「おかげさま」というようになったボクシングの亀田選手の言動の変化は記憶に新しいのではないでしょうか。
.
日本人が、西洋流の成功論と同じような成功法則を書けないのは、私たちが西洋的な価値観を持っていないからです。それは、数日前に書いた内容なので、ここでは割愛しますが・・・
.
とはいえ、西洋流の成功法則の本が売れているのは、私たち日本人が西洋文化に覆いに感化されてしまっているからでしょう。
.
成功したいという欲望は、人間なら誰でも持っているものでしょう。しかし、日本では、そのような気持を「表に出してはいけない」という価値観が存在しています。
.
そういう精神環境で育ってきてしまっているからです。そのことを、私たちは、すぐに忘れてしまう傾向にあります。
.
つまり「西洋の成功論」を「日本の価値観に置き換えて考えるクセ」をつけなければならないのですが・・・
.
テレビやインターネットなどのメディアの価値観が、実に西洋化してきてしまっているために、どうしても「実態」を忘れてしまいやすくされているようにも感じるのです。
.
結果「成功論を読んだけれど、成功しない」・・・ヘタをすると「ひんしゅくを買ってしまった・・・」ということになりかねないのです。
.
事実、私も若いころは、そこの肝心な部分を誤解していました。とにかく自分の才能をのばしさえすれば良いと、そのことばかり考えていたのです。
.
しかしながら、そのように考えるのは「実に西洋かぶれした感覚」で、日本人に拒絶され、悪役という立場に陥りやすい「個人主義的考え方」だったのです。
.
日本の社会では、「みんなで仲良くする」ということが一番だったのです。一緒に働き、一緒に飲みに行く。どんなことでも一緒に仲良くやり、集団で動くことが必要だったのです。
.
現在では、社員旅行や社内のレクリエーションなどというものは激減しているようですし、そういうことに「参加したくない」という「私の若いころのような感覚を持った人」が増えてきているようですが・・・
.
私の若いころと変らず、結局、会社や世の中からの評価は、ちっとも上らない・・・という結果を招いているだけの話のようです。
.
事実、私もそういう「組織の中」で「日本人らしく生きる」ということができずに、「おまえはドライな人間だ」といわれ続けてきたのだろうと思いますし・・・
.
結果的に、サラリーマンとして失格したのではないかと思っているのです。
.
では、どうすれば成功できるのか・・・という話になるのでしょうが・・・ずいぶんと長くなってしまったので・・・ 
.
今日のところはこれくらいで筆を置くことにしましょう。



ランキングに参加しています。

 

 


 
 
 
 

2010年2月18日木曜日

日本人の成功哲学

.
私は、西武百貨店という流通業の会社で17年間サラリーマンをしたことがあります。社会生活も30数年してきましたが、今までに「西洋の成功論の翻訳本」を電車の中で開けっ広げに読んでいる人を見かけたことはありません。
.
隣に座った人が本を読んでいたら、チラリと盗み見をするのですが、やっぱり「西洋の成功論の翻訳本」を電車の中で読んでいる人をみかけたことはありません。
.
世の中には、こんなにも多くの西洋の「成功論の翻訳系のベストセラー」が登場しているのに・・・
.
さらに「携帯電話」で、色々なホームページやブログなども見ることができるのに、やはり電車の中で、そのようなものを見ている人に気付いたことさえないのです。
.
そのことに気付くと不思議な気がしてくるものです。どうしてなのでしょう。
.
私自身がそうなのですが、やはり「日本人」にとって「成功論の本を読んでいる姿」を他人に見られたくないという心理が働いているように思います。
..
数年前に「バカの壁」という本がベストセラーになりました。確かに成功論ではあるのですが「億万長者になる」とか「賢く生きる」というタイトルの本とは正反対の本です。
.
その時、私は「日本人の心の中」に根強く潜んでいる「古来からの日本人としてのDNA」を垣間見たような思いがしたのです。
.
私は、百貨店時代にアメリカへ研修旅行に行った事もありますし、もうひとつのブログにも「アメリカのマーケティング論」を紹介していますが・・・
.
事実、実に「西洋かぶれ」した人間だったのです。ですから、日本人でありながら、日本人の心を長い期間忘れていました。

いいえ。そういう人間だったからこそ、この「古来からの日本人としてのDNA」に気付いて「そうか、自分もまた日本人だったのか」と、自分自身の中に眠っていた感覚に驚いたのだろうと思います。
.
では、日本人が「成功法則の本」を書かないかというと、そうではありません。しかし、内容は「西洋の成功本の翻訳内容」とは、まったく違った「日本独特の内容の本」が多いのです。
.
そもそも、日本の「成功者」は「どこの誰だかわからない」というのが大前提でした。白馬童子も、月光仮面も、水戸黄門さまであれ「本当の姿」を隠しています。
.
最近では「京セラの稲森社長」が「成功」という名前のついた著書を書いていますが、正式な名前は「成功と失敗の法則」というもので、成功だけでなく「失敗」も含まれています。
.
近日では、納税額の高さで有名な「銀座まるかん」の斎家一人さんの「成功法則」が人気ですが、その中身は「村で一番の人気者になるには、バカなフリをしてニコニコしているのが一番!」というような内容の本ばかりです。
.
それが「出る釘は打たれる村文化・日本」の成功のルールだったのだろうと思いますし、当然、2500年もの歴史の上に現在がありますから、現在でもその価値観で世の中が動いているという証明にもなるのでしょう。
.
.
では、どうすれば成功できるのか・・・という話になるのでしょうが・・・ずいぶんと長くなってしまったので・・・ 
今日のところはこれくらいで筆を置くことにしましょう。



ランキングに参加しています。

2010年2月17日水曜日

「成功法則」というもの-3

.
第1回をベースに、第2回に続き、今回が3回目となりました。
日本という国は「組織」というもので成り立っている「縦重視の社会」です。逆に、西洋諸国は「個人」というもので成り立っている「横重視の社会」です。
.
日本の「縦重視の社会」は「村文化」を発祥とする「集団主義」から生まれてきたものです。集団主義では、何かの縁でそのグループに所属したら「仲間意識」を持って動くことが重要になります。
.
まるで「家族」のように「親しく」なり「家族主義」と言われるほど、仲良くならなければ結束が高められないと考えられてきたのです。
.
家族主義になると「争ってはいけない」ということになり、仲良くすることが重要視されるようになります。日本の会社の経営理念に「和」というものが頻繁に使われるのは、こういう民俗的・歴史的背景があったからです。
.
こういった社会の中では「個人競争」が非常に嫌われる傾向が強くなります。仲間・身内というった人たちの間での競争は、少なくとも表面的には隠さなければなりません。
.
競争するならば「他の企業」と「仲間で結束を固めて競争すること」が大切になり、仲間どうしての成果の奪い合いなどしたら、村八分となり、生きていく場所を失うことになるのです。
.
会社と会社が競争しているのですから、当然「競合企業」に対して敵対心を持つようになってくるわけです。
.
これだけ日本と西洋とでは「社会的価値観の構造」「精神的感覚の構造」が違っているのです。ですから当然といえば当然という話ではありますが・・・
.
やはり「成功」というものの考え方も、まるっきり違ってくるのが当然なのです。
.
日本では「出る杭は打たれる」という価値観があります。
.
たとえば「科学の分野でノーベル賞」が欲しいなら「西洋の大学へ勤めろ」ということが大学教授の間では「暗黙のルール」となっているのです。

「ノーベル賞などを取ってしまったら、そういう人間の居場所がなくなってしまう」というのが「古い学会というものに縛られた世界」に生きる「先生がた」の感覚のようです。
.
日本の社会では、何かにつけて「チームを組んで動く」というのが好きなのです。そうやって、何事も「仲間と一緒にやる」という価値観を大切にしているのです。
.
.
「ノーベル賞」を手に入れるほどの卓越した人は例外と考えて、普通の人ならば、日本で成功するためには、仲間に嫌われてはいけない・・・ということになるのです。
.
こういう「心理の違い」は「購買者」となった時にも顕著に現れてきます。つまり、西洋の売り方を以てしても、日本では成功しにくい・・・ということなのです。
.
西洋の売り方の代表といえば「テクニック」というものだと思います。つまり、日本で「○○テクニック」というものを使っても、なかなか売れないのは、こういった時代背景や
歴史的価値観があるからなのです。
.
では、どうすれば良いのか・・・という話になるのでしょうが・・・ずいぶんと長くなってしまったので・・・
.
今日のところはこれくらいで筆を置くことにしましょう。



ランキングに参加しています。