2010年2月20日土曜日

日本人の成功哲学-3

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さて、前回の続きを書くことにしましょう。
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1973年といいますから、もう40年ほども昔の話になるのでしょう。ダイヤモンド社から「タテマエとホンネ」(著/仁戸田六三郎)という本が発売されベストセラーとなりました。
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現在でも「ホンネとタテマエ」という言葉は、一般的に、ごく当たり前のように使われていますが・・・

なぜ、こんな古い話を持ち出すかというと、1973年というのは「1971年のニクソンショックで円高」となり「1973年の第1次オイルショックで不景気になった年」だからです。
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いつの時代も、日本が不景気になるたびに「日本らしさ」というものが「会社を救う戦略」、「日本人らしさ」というものが「自分を救う哲学」としてクローズアップしてきたからです。
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日本人は、追い込まれると「タテマエ」というものを持ち出す傾向にあります。
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タテマエは「集団の論理」です。それは、自分が所属する集団の中の人間関係を規制する原則なのですが、2500年もの歳月をかけて醸成されてきた道徳観を土台にしているため、強い規制力をもった道徳律となっているのです。
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日本語らしく表現するならば「恩」であり「忠義」であり「孝行」です。また「義理」「人情」というふうに表現されることもあります。
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そのような考えの中から「ご縁」とか、「おかげさま」「気くばり」ということばが派生してきたのでしょう。
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この道徳律は、いずれも人間関係に対して大変な気配りをしているものです。それは「ひとくち」にいえば「集団の利益を最優先に考え、自分のことは後回しにする」ということです。
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しばしば発生する企業ぐるみの犯罪においてよく見られることですが、日本人は自分が所属している会社に損害を与えるようなことは決して言わなかったのです。
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自分の感情を殺し、集団のために尽くしてきた長い歴史をあるのです。そういう意味では、ホンネをいう人間は「危険人物」と見なされてしまう文化があります。
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いつ裏切られるかわからないと見られるからです。
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歴史をさかのぼって見てみると、欧米では「たとえ集団の利益に反しようとも、自己の両親にそって対応することが「人徳」と見られた傾向にあったようです。
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勤務してきた会社の悪行を暴露するために辞職したらい、秘密文書を外部に流したりして、時には、そういうことをした人間を「英雄」と見てきた経緯もあるようです。
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1973年出版(「日本人」著/グレゴリー・クラークより一部概略引用)

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確かに、日本でも「企業の不正を暴露する」という動きが最近、目立ってきています。船場吉兆も、飛騨牛の丸明も、加ト吉も・・・ 
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「西洋かぶれ」した人が、西洋の感覚で「会社の悪行を暴露」したのでしょうが、こういう「西洋の正義感」を持ち合わせた人は、残念ながら日本では「危険人物」とみなされ、後にそういう人を雇う経営者が存在しないのも現実なのです。
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たしかに正しい行いかもしれませんが・・・ 雇う側の人間にとっては「和を乱す、危険人物」としかうつらないのが本当のところでしょう。
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個人の利益を優先する欧米諸国で醸成されてきた、日本では通用しにくい「個人優先の主張」を、集団(村)の利益を優先する日本に持ち込むことは、結果、自分の評価を下げることにしかならないのです。
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冷静に考えてみていただきたいのです。リーマンショックがあった時に、真っ先に解雇されたのは「個人優先の主張」をしながら働いていた「派遣社員」だったではありませんか。
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ハッキリいってしまえば、日本人は「企業の長」に対して、強烈なリーダーシップの発揮を望んでいるのではなく、「集団(村)の長」として「人徳」を望んでいます。
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そういった「人徳」のある「企業の長」をがいるならば、その「人間性=人徳」を尊び、「人望」を期待しているのです。
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「人望」「器」「器量」という言葉が歴史的に重んじられてきましたが、これは「人を活かすことのできる度量の大きさ」のことを指しています。
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つまり「自分を活かすより、他人を活かすこと」が日本では「評価をあげる基準」となってきた2500年もの歴史がありますし、原則、今もそれは変っていないのです。
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日本人は「目先の利益」より「その先の利益」までを考え、逆算して今の行動にうつすことを重んじてきました。
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つまり「先々、ずっと得できるならば、今は自分がバカなフリをしておく・バカな目を見ておく」という、本当の意味での頭の良さを持ち合わせていたのでしょう。
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では、どうすれば成功できるのか・・・という話になるのでしょうが・・・ずいぶんと長くなってしまったので・・・ 
今日のところはこれくらいで筆を置くことにしましょう。



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