2010年3月2日火曜日

察する文化のある日本-2




前回は、西洋には「ホンネとタテマエがない」こと。また「相手の気持を察する文化がない」うえ「自分の我を殺して相手に合わせる文化がない」ということを説明しました。

話し合って、フィーリングが合わないなら、別に一緒に時間を過ごすこともない。という感覚が最初にあるからこそ、相手に何かを進めるならば「プレゼンテーション」が必要になるということも説明しました。

ところが、日本では「ホンネとタテマエ」があり、「相手の気持を察する文化」があり「自分の我を殺して、相手に合わせる文化」がその基本であることを説明しました。

だからこそ日本で「プレゼンテーション」をすることは、すなわち「相手にとっては、察する能力のない人間と扱われた」ことになって、嫌われてしまうのです。


日本の「お客さん」は、「セールス」をしている人間のホンネを察する「洞察力」が高いのです。 そして「販売のプロとして、徹底的に我を殺してお客さん対峙するセールスマン」「販売のプロとして、徹底的に我を殺してお客さんに対峙する販売員」を「すばらしい人」と感じて購入をするという傾向が非常に高いのです。

自分のことより、会社のこと、会社のことより、お客さんのこと・・・ というプライオリティを持ち合わせる人を「人徳ある人」とみなすのは、2500年も続く「村社会感覚=集団主義」の感覚なのでしょう。

では「セールス」を受け持つ「企業」「販売担当者」は、どこまで「我を殺すこと」をプロフェッショナルとして「徹底」すれば「販売担当者のホンネ」を洞察してしまう「日本」の「お客さま」が「買うまでに至るのか」という話になりそうです。 

確かに、日本の多くの企業では「社訓」や「社是」というものに「感謝」とか「奉仕」といったことが掲げられています。

それは「プレゼンテーション」などということをすれば「押売り」と感じるお客さんが多く、結果「強く売り込む技術」より「売り込むことを悟られない気持を持つこと」が販売に効率的につながることを多くの諸先輩が体験して教訓としてきているからなのです。

しかし、これらのことは「心構え」や「心得」として「体得し、会得すること」が重要視されたため「マニュアル化」されたものが存在なかったのでしょう。

逆に、こういう状況にありながら 「文章化されたもの」として「西洋から輸入され、翻訳された【プレゼンテーション技術】」しか見当たらないからこそ、こぞって誰もがプレゼンテーションを行うのですが、チカラを入れて説得すればするほど成果が上がらない・・・という事態を引き起こしているのです。

どうやっても、ここは日本で、お客さんも日本人なのです。だからこそ「販売者」が「我を殺すほど、売上があがる」・・・この実態がノルマを持ち合わせる「セールス担当者」の業績の成果に直結していることは否めません。

日本におけるトップセールスマンは、テレビのフィクションドラマなどで表現されているような「押しの強い人」ではなく、実に控え目なお思いやりあふれた優しそうな人ばかりなのが実態なのです。


それらの実態を、いくつか実例を紹介しいくとさらに理解しやすいものとなる・・・という話になのでしょうが・・・ずいぶんと長くなってしまったので・・・ 
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今日のところはこれくらいで筆を置くことにしましょう。




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