2010年4月4日日曜日

思いつくままに・・・ No.22


【意思の疎通】の無い、コミュニケーション? -2/2

(前回からの「つづき」)

「言語能力のない人どうし」が集まって、なにやら納得した顔をして、ふんふんうなずき合って、質問に答えたりしていることになっちゃうわけじゃないですか・・・ 結局、チンプンカンプンなコミュニケーションで、みんなが納得した気になっている。

肝心な仕事になると、やっぱり理解できる説明が上司からなければ、話は前に先に進んでいったりはしない。それでも何となく、わかったような、わからないような・・・それでも何となく丸くおさまったような気持になっている。

本当にたいへんなことになってしまいました。2時間、会議をしてみたり・・・ 3時間、ミーティングをしてみたり・・・ 結局、しかし、全部がすれ違い・・・カン違い、大間違いか・・・ 結果、あいつはわかっていない・・・ あいつはわかっていなかった・・・ という話になってしまうわけで・・・

そのミーティングで使った時間や労力、その会議のために消費した知的エネルギーはすべてムダで不発になってしまう・・・ もう、そうなるのは最初の時点から見えてしまっているのです。

仲間でそろって打合せをしても何も生み出せるハズがない。生み出せたりすることなんて、できるるワケがない。「言語能力」が低下し、劣化したことで、もたらされたことは「ただの空回り」・・・。話し合ったところで、何も中身を埋め込むことができないコミュニケーション・・・

あなたのチームは大丈夫ですか? 空回りしながら走り回る集団になってはいないでしょうね。もし、そういう部下が1人でもいらっしゃるようでしたら、そして、また、お客さまを1人でもあなたのファンにしようと思ったならば・・・ 「あなたの体験」「あなたが集めた資料」「あなたの方針」「あなたの考えかた」「あなたの命令」「あなたの部下に対する要求」は・・・

相手がわかるコトバに置き換えて、しっかりと翻訳し再編成して伝えなければなりません。それでも相手が充分に理解できないようであれば、相手の持ち合わせている言語と、自分の持ち合わせている言語の「質」「量」「許容範囲」を改めて見直して、あなた自身の使っているコトバを修正なり改訂をして相手に合わせる必要がでてきます。

それでも、あなたの要求や説明が相手に届かないようなら、相手の話を慎重にじっくりと聞いて確認を繰り返しズレを埋めていくしかないわけです。

こんな話をしているうちに「コミュニケーションというコトバ自体」が問題を引き起こしているような気になってきました。「コミュニケーション」というコトバの意味を何となく解っているつもりになってしまいますが、どういう意味なのか、誰もが理解できるように説明できますか? 何と説明しますか? どのように説明するのですか?

「マンガ」と「テレビ番組」・・・そして「コミュニケーションというコトバ」が「言語能力」の低下と劣化を招いていくだろう・・・と予言した書籍が1970年代に出版されていたのですが、なるほど・・・ ここにきて、その予言はズバリ的中した・・・と思うのです。

その本には「コミュニケーションを取る」といわず「意志の疎通を図る」と日本語で伝えなければ、意味不明の会話になる・・・と明確に書いてありました。まさに・・・といったところでしょうか。

逆に日本語で「意志の疎通を図る」ということを英訳すると「コミュニケーションを取る」となりますが、「コミュニケーションを取る」を日本語に訳すと、どうして「意思の疎通を図る」という意味合いにならなくなっているのか・・・ やっぱり不思議な気がしてなりません。

そもそも「意志の疎通」こそがコミュニケーションの本当の意図するものだったのです。そこにある「意思」・・・ 当然、「意思」には「責任」がついてまわります。

上司が責任をもって、上司の意志を伝え、意志の疎通ができた部下の行動についてまで、しっかりと責任をとる。これが「意志の疎通」ですが、いつの間にかその「責任」だけを回避するようになってしまった。

上司が責任を持とうとしなくなったのか、部下が責任を持つことを避けようとしたのか、はたまた、どちらもが責任を持たないようにしたのか? とにもかくにも「責任」を避けた、何となく通じ合っている感じ・・・ それこそが現在、多くの人たちが使っている「コミュニケーション」というコトバの正体のようです。

「コミュニケーションって難しい」などというようなテレビ番組や、雑誌の記事をよく目にするのですが、どうも「意志の疎通」があって、はじめて「コミュニケーション」になるはずなのに、どこかズレてしまっているように感じてならないのです。

そうでなければ「コミュニケーションは良かったのだけれど、意思が伝わっていない」とか「コミュニケーションさえあれば、意思は伝わらなくてもいい」とか、「意思は伝わりそうにないので、せめてコミュニケーションだけでも・・・」というような表現が出てくるはずがないのです。


でも「なにかおかしい」と感じるのは、私だけでしょうか。英和辞典に書いてある「コミュニケーション」=「意志の疎通」というものが、いつのまにか「相づちを打つこと」「テキトウに挨拶をしておくこと」という意味にすり替わってしまっているのです。

「コトバを活用して意志の疎通を図るためのバーバルコミュニケーション」と「意志の疎通ができた人との、表情などを活用した無言のノンバーバルコミュニケーション」・・・ そこから「意思」が消えてなくなってしまっている。

まるで「タマゴごはん」の「タマゴ抜き」・・・ 「チャーシュー麺」の「チャーシュー抜き」・・・ 「牛丼」の「牛肉抜き」・・・ そういう状態で、何だかみんなが納得してしまっているような感じ・・・とでもいうのでしょうか。

「無責任」を大前提にした「相づち」や「テキトウな挨拶」ではとても成り立たない明瞭で明確な状態が必要になる。そうであるはずなのです。「会議」「打合せ」「指示」「命令」というものは、どう考えても「意志疎通」のための「行動」なのです。

どう考えても、伝える側の「言語能力」「説得能力」「説明能力」が必要になります。当然、聞く側の「言語理解能力」「理論理解能力」「理解したうえでの行動力」も必要になるのは確かですが・・・ 説明する側と、説明される側の「ど真ん中」に「責任」ありき・・・

そうでなければ話は何ひとつ進まないのです。人間関係がうまくいかない・・・ などという話をそこらじゅうで聞くのですが、そこには「意志疎通術のスキル問題」が根底にあるのだろうと推し量ることができます。

「あいまいさ」がただよう「上辺だけのコミュニケーション」では、やっぱり解決などしない。「相づちを打つだけの無責任な人間関係」「テキトウに挨拶をしておくだけの無責任な人間関係」は、そろそろ終わりにしませんか?

これからは「討論を行うことを前提とした責任ある意志の疎通を図った上での人間関係」へ・・・ 「うわっ面」のコミュニケーションから、仲間としての「お互い責任行動のある意志疎通」へ、そろそろ移行していく時期が来ているように思うのです。

そこには「本を読んでコトバを増やしていく必要性」や「理論立てて相手に説明するスキルを上げていく必要性」が見え隠れしているように感じるのですが、いかがなものでしょうか。

さて、今日はこのあたりで・・・


「責任感。和製英語で消えていく。意思の通じぬコミュニケーション?」




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